人生は沼だらけ

20代オタク女子のひとりごと/フィギュアスケート、昭和アイドル、Kinki Kids、ミュージカルなど

「他下げ自推し上げ」について考える

最近いろんな歌手の曲を聴きまくってます。
米津玄師とサカナクションが心にヒットしました、美遊です。

大人になっても、自分にハマるアーティストに出会えるのは幸せですね!



さてわたくし、色んな沼(ジャンル)にハマりまくっていて、ツイッターの趣味用アカウントも二つ持っているのですが…。

それぞれの界隈にいると、日々、一オタク?として考えさせられることが多くあります。
今回の記事タイトルも、考えさせられたことの一つです。




あの、端的に言って、



「自分の推しじゃない人を批判(=下げ)して、自分の推しを相対的に良く見せる(=上げ)」


略して!(?)


「他下げ自推し上げ」(無理をするな)


してる人、多くないですか…?



私が持つ二つのツイッターアカウント、一つはフィギュアスケートがメイン、もう一つは昭和アイドルがメインなんですが…。

どっちのアカウントでも見たことあるんですよ、↑のようなツイート。


「他者を下げて自分の推しを上げる」発言って、あまり好ましく思われてないですよね。というか良くないって認識ですよね。

何故良くないのか?という意見に対しては、「その他者を好きな人もいる」「推しがそういうことをされてたら嫌な気持ちなんじゃないか」などなど……いろいろあります。


なんで、「他下げ自推し上げ」って良くないんですかね?


はじめに言っておくと、昔は私自身も、自分の推しと他者を比較して「やっぱり〇〇と比べて自推しはここが優れてて良い!」と思ったこと、多々ありました。すみません…。(謎の暴露)

だから、この思考そのものを真っ向から否定しようとは思いませんし、そもそも否定できる立場にありません…笑
何を思うのも自由なので、ね。


そして、私自身は上記のうちの「その他者を好きな人もいる」という意見が、しっくりこないんですよね。
それに対しては「私の言葉を見なきゃいいじゃん!」で済まされてしまう可能性があるので。



ゆるゆると、考えてみました。



何かを好きになるときって、何をもとにして好きになるんだろうって思ったとき、それは「自分の過去の経験」をもとにしているのではないかな、と思いました。

それは一目惚れみたいなときでも同じで、人は何かに出会うとき、自分が今まで見たもの・聴いたもの・感じたものを、自然と比較対象にしてると思うんですよね。

そしてその経験との比較に加えて、その経験から生まれた自分の「好み」、さらに自分の「快」のポイントにハマる「ツボ」が、出会ったものとぴたりと合ったとき、人は出会ったものを「好き」になるのかなと思いました。

だから、その比較、好みの傾向、そしてツボが合わなければ「好きじゃない」「合わない」にもなると思うんです。


ややこしいので、↑のことを、私がKinKi Kidsにハマったときことにあてはめてみました。


☆自分の経験
・J-POP→洋楽やボカロ→ロック→昭和歌謡という流れでハマり、どれもそれなりに聴いてきた。ヒップホップやR&B、ジャズ、クラシックはあまり聴いていない。最近はポップスをよく好んでいるが、あまり聴いてない音楽以外の音楽はあまり抵抗なく聴く
・ミュージカルも見に行ってる
・美しいものに惹かれる経験をよくしている

☆経験から生じた自分の好み
・最近の音楽の好みは歌謡曲寄りのポップス
・顔が良くて歌が上手い人は最高
→・KinKi Kidsの曲は基本ポップス
KinKi Kidsは顔がいいし歌も上手い。なんなら
踊りも楽器もできる(キャー最高!)

☆私のツボにハマるKinKi Kidsの要素
・剛くんの歌声
・光一くんとパンちゃんの組み合わせ(?)
・二人のかけあい(???)
・二人のハーモニー
・二人の雰囲気


こんな感じかな?(ちょっと変なとこあるのは許してください←)


経験って、自分の価値観を作るもとだと思うので、自分への影響って計り知れないと思うんです。
そしてツボはもうどうしようもないし←


ちなみに、好みには合うけどツボにはまりきらない人とかは、推しじゃなくて、ただ単に「好み」の人になるのかなと。
固定記事(https://mi-u-0129.hatenablog.com/entry/2019/01/10/084044)にある、昭和アイドル欄の「好き」の部分なんかはそういう人もいたりします。ちなみに全員じゃないですよ←謎の強調



と、勝手きままに、「推し」ができる過程を考えてみました。

ここで思うのが以下の二つ。



・その「自分の経験」「好みの傾向」「ツボ」は正しいのか


・自分の推しは他者より優れているのか



ということです。


どちらも、分からなくないですか?
もう、永遠に分からないことじゃないかなって思います。言い過ぎたか。←


経験も、好みも、ツボも、あくまでも「自分の」経験であり、好みであり、ツボなんです。それが絶対的に正しいことなんて余計にないんです。
(これには自戒も入ってます。やっぱり自分が正しい!って思いたくなることはたくさんあるから)


それに何が本当に正しいかも分からない世界なのに、自分の推しと、下げたいと思う対象の優劣って、よけいに分からないと私は思うんです。

そして、文化的なものの優劣って本当に無いと思います。
流行る→廃る→再ブレイクという事象が多々起きるのも、それを証明してると思います。時代の価値観は移り変わるもので、断定的なものはないのです。


…自分にとってある他者が好みでないのは、その他者が「劣っている」のではなく、「自分の好み、ツボに合わないから」。その一言に尽きるのではないでしょうか。


だから、「他下げ自推し上げ」ほどナンセンスなことって、ないんじゃないかと、私は思います。


自分の推しを上げたいなら、純粋に


「私は推しのこういうところに惹かれたんだ。魅力的に思うんだ。ぜひ皆にも聴いて/見てほしい!」


とだけ言えば良いんじゃないかなと思うのです。


「〇〇はここが良くない。一方で私の推しはそこができる。凄いでしょ!ぜひ皆にも聴いて/見てほしい!」


って、なにかおかしいなって思うんです。


あなた一体何様よ?って。(いきなり言葉悪くてすみません…)←
本当の優劣なんて分からないじゃない、あなたの価値観においての話じゃない、と感じてしまうのです。


それに……。今までの話からは逸れてしまうのですが…。


毒がある言葉よりも、愛がある言葉のほうが、影響力があると思うんです。
だって、毒なんて摂取したくないでしょ?愛のほうが心地よくないですか?

愛ある言葉は、人の心を癒やす薬になります。
そして、人の心を動かすきっかけにもなると思うのです。

ちなみに私は、SNSやブログで、いろんな方の推し語りを見るのが大好きです♡あと沼落ち話。元気もらえるんですよね、アレ。それに、その人の推しを楽しく知ることができて、うん、良いんですよ…(しみじみ)

実際に、誰かがハマってる様子を見て、自分もその人がハマってるものに興味を持つことってありますよね。ありません?←(私の場合、フィギュアスケート選手はそうやってハマることが多いです)


とまあ、「他下げ自推し上げ」についていろいろ考えてみました。



私は他の人を下げるワードは、好きじゃありません。


せっかくなら、愛あるワードをたくさんふりまきませんか?


そして、自分の推しの魅力を、真っ直ぐに、広めてみませんか?



その言葉はきっと、どんな言葉よりも魅力的だと思うのです。
そして、推しの魅力が最大限に広まると思うんです。



みなさんはどう思いますか?




みんな大好き土日が来ますね!グフフ
私もゆっくり寝ることにします。



おやすみ最高!それでは!美遊でした!




2019.01.25